言语赐福 喜迎新年

大晦日の深夜から元日の早朝にかけて、時間の流れは魔法のようだ。さっきまでざわついていた年の瀬の空気が、数時間眠って目覚めれば、静かにひきしまっている。年あらたまる和やかな朝は、いくつ歳(とし)を重ねてもありがたい

从除夕的深夜到元旦的早晨,时间的流逝就像是着了魔法,直到刚才还喧闹非凡的年关氛围,经过了数小时的睡眠再一睁眼,竟然是一片寂静的世界。新桃换旧符的祥和清晨,无论反复多少年都是求之不得的。

思えば暮れから新春への10日間ばかり、私たちは毎年、不思議な時空を通り抜ける。師走の25日まで、街はクリスマス一色に染まる。それが、あくる日からは、ものの見事に迎春モードに一変する

回想起来,从岁末到新春的10天,我们每年都要度过这段令人费解的时空。一直延续到岁末25日,满大街是圣诞色彩尽染,可到了第二天,这一氛围竟摇身一变成功地改换成了迎春的模式。

ゆうべの除夜の鐘で百八煩悩を消し去って、きょうは神社で清々(すがすが)しく柏手を打つ。キリスト教に始まって仏教から神道へ。いつもの流れに身をゆだね、この国の年は暮れ、年は明ける

昨天除夕夜的钟声荡涤了所有一百零八个烦恼,今天又将前往神社清心静气击掌祈福。从基督教开始经佛教最后进入神道,在委身于这一通常流程的过程中,这一国度辞岁末,启新年。

日本海側は大雪の正月になった。三が日に降る雪や雨を「御降(おさがり)」と言う。めでたい日の生憎の空模様を、ご先祖は天からの授かりものとして美しく言い換えてきた。言葉に宿る霊力が幸をもたらすと信じた民族ならではだろう

日本海一侧是一个大雪纷飞的正月。在这里人们将正月1-3日连降的雪雨称之为“御降”。从老祖宗开始就将这吉庆之日难得的天况认为是老天爷的恩赐并冠以美好的称谓。这恐怕是只有对于言语中凝聚着的神灵之力必将为我们带来幸福的说法深信不疑的民族才具有的独到的思维吧。

そんな「言霊の幸う国」は3種の文字を持ち、ゆえに三つの幸福がある。「幸せ」と「しあわせ」と「シアワセ」は同じようで微妙に違う。たとえるなら、「シアワセ」は冷えた五臓に熱燗の一杯がじんわり広がるとき。「しあわせ」は赤ちゃんの寝顔に見入る父さん母さん、といったところ

在此信奉“言语神灵赐福与人的国度”具有3种文字,因此也拥有三个幸福,“幸せ(汉语)”、“しあわせ(和语)”和“シアワセ(西语)”三词貌似相同却又存在着微妙的差异。打个比方来说,“シアワセ(西语)”就是一杯烫热的烧酒润润地温暖着冰冷五脏的时刻;“しあわせ(和语)”就是注视着婴孩熟睡笑脸的父母深有感受的时候。

「幸せ」は人生航路の順風だろうか、漢字は構えが広い印象になる。一族再会、おみくじの大吉、雑煮の湯気……何でもいい、年の初めの幸を喜び、気分新たに歩み出したい。混迷の世であればこそ、なお。

“幸せ”恐怕要说是人生道路一帆风顺了吧,汉字给人以涉猎广泛的印象。一家重逢,抽签大吉以及杂烩的腾腾热气……任何场合都适用。希望读者们喜庆一年之初始的福分,以焕然一新的面貌走向未来,特别是在世态混沌之时,更应如此。